プロフィール

2023年10月15日

成瀬 麻記子 (なるせ まきこ)

プロフェッショナルホメオパス

シータヒーリング®プラクティショナー
JADP認定心理カウンセラー
チャイルドカウンセラー
家族療法カウンセラー
杏林予防医学研究所アカデミー上級講座修了
JALNI認定脂質改善シニアインストラクター
分子栄養学実践講座修了
自然栄養療法の食プロデューサー
2級電磁波測定士

名古屋大学院工学研究科修了。工学修士。



学生・研究員時代

大学では学部3年生までは名古屋大学オーケストラサークルに所属しヴァイオリンを弾くかバイトするかの生活をしていました。とても多くのバイトを経験しましたが、特に家庭教師は10人の子受け持ち、一番長かった子は6年間、その成長を見させていただき、とても楽しくて将来は家庭教師のプロになろうかとも思ったことがありました。

大学4年生になり高分子の研究室、岡本研究室に所属してからは一変し、修士2年生で卒業するまで化学実験三昧の日々を送りました。月曜から土曜まで、朝から晩(たいてい深夜)まで研究室にどっぷり浸かり、いつでも汚れた白衣とジーンズ、有機溶剤の臭いが体からする華やかさ、とは程遠い学生時代でした。

研究テーマは高分子化学、主に薬のキラル分離(光学分割)のための担体の開発、コンピューターシミュレーションによる糖鎖と低分子化合物の相互作用を分子動力学的に計算する(molecular dynamics)ことなどでした。研究は楽しかったのですが、上手くいかないこと も多く、でもここでどんなに大変でも最後まで諦めない、という精神を学ぶことができました。

修士として修了後は大手製薬会社に分析科学研究員として勤務しました。製薬会社はお給料はとてもよく、待遇もよかったのですが、(実際に自分でしていたわけではないのですが)動物実験がどうにも嫌でストレスでした。

結婚を機に化学系特許のデータベースを扱う法人に一旦就職したのですが、やはり研究をやりたくて、ゲノムにかかわるバイオ系外資の会社に転職し、分析研究員として研究を再開しました。

ここでの研究テーマは癌や老化のマーカーとしての糖鎖でした。当時はゲノムプロジェクトの最終段階、国からもミレニアムプロジェクトにより莫大な研究資金が投入され、最先端の設備のもとで研究ができることが楽しくて仕方なかった時代でした。

このタイミングで子供を授かったのですが、つわりなど全くなかったため妊娠中も地方に学会発表に行ったり、深夜、週末も研究室で仕事をしていて、自分が妊婦であることを忘れて夢中で働いていました。

出産後、一旦仕事復帰をしましたが、夫は協力してくれたものの親戚など近くに頼れる人はいなかったため、ハードな研究生活と育児の両立は難しく、泣く泣く仕事を断念し専業主婦となりました。

ここで私の人生が180度変わる事件がおきました。

ホメオパシーに出会う

子ども達は一人はADHD気味、そして二人とも気管支炎がありました。

ADHD改善のために早期教育を試したり、モンテッソーリ教育の幼稚園に通わせたり、幼児教育にかなり力を注いでいました。

特に下の子が気管支炎が早いうちからあり、隔月ぐらいで小児科に通い薬をせっせと飲ませていました。必ずよくなると信じて。。。でもどんどん悪くなっていき、ある時、急性肺炎と診断され救急病院に行くことになったのです。

病院ではステロイドで症状を抑えた後、抗アレルギー薬を出され、この子はこれから一生このコントロール薬を飲むように言われました。その時、まだ1歳の子が今後一生、薬を飲むなんて絶対それはよくない、という母としての直感がありました。また、薬は治すものだと思っていたけど、そうでなかったんだ、という驚きもとても大きいものでした。

これまでの私の信念が崩れた瞬間でした。

いろいろな代替療法を試す中で、偶然、知人よりホメオパシーというものがあるということを聞きました。始めは半信半疑でしたが、副作用がないと聞いて試してみたところ、子ども達がみるみる変化していったのが驚きでした。

当時、私は慢性的なかなりひどい偏頭痛持ちでいつでも頭痛薬が手放せない状態でした。また、夫もエビとイカの激しい食物アレルギーがあり”かっぱえびせん”1本食べられませんでした。ホメオパシーをやってそれもどんどん変化していきました。今では夫はエビ料理が大好物です。

そうなると、元研究者としてホメオパシーとはどういうものなのか?とても興味がでてきました。東工大の材料工学研究室で実験補佐として勤務(パート)をして学費を稼ぎながら、ホメオパシーのスクールに通い始めました。

ホメオパスとしての活動

2014年に日本のホメオパシースクールを卒業してからは、プロフェッショナルホメオパスとして、これまでに子どもやお母さんを中心に働く女性、男性、ご高齢の方など多くの方をコンサルさせていただいています。

コンサルには生体エネルギー測定装置(QX-SCIO)も併用し、潜在意識レベルでの体のエネルギー状態を測定することもあります。
このQX-SCIOもとても面白い装置で、もっと学びたくて、2018年日本人として初めてハンガリーで毎年行われているカンファレンスに参加しました。開発者のビルネルソン博士(現在Desire Dubounet)に直接会って話せたのはとても素晴らしい体験でした。

食生活はとても重要と考えているため、栄養の勉強もしました。キンロス一美さんの講座から始まって、宮澤塾、杏林アカデミー研究所、エイミーヤスコの遺伝子栄養学、吉冨信長氏の栄養学講座、地曳直子さんの主催する脂質の研究者の講座、脂質栄養学会、太田茂夫先生の分子状水素の連続講座など多くの講座をとったり、本で学んだりしました。多方面から学ぶのは、クライアント様お一人お一人の体質によって、ベストな食生活は異なるためです。

例えば、癌の方だと一般的には糖質制限食がよいと言われますが、ある方は糖質制限食だとみるみる弱ってしまい、玄米菜食中心に変更したところとてもお元気になったということがありました。そのため、ホメオパスは常に多くの選択肢を持って、その人にとってのベストをいつも提案できるようにする必要があると考えています。

精神面の影響から体の不調を訴えている方も多くいることから、カウンセリングを学んだり、シータヒーリング®やスピリチュアルなども取り入れてきました。

ホメオパシー以外のこともいろいろ学んできたのですが、結局何をやってもやっぱりホメオパシーが一番!というところにいつも私は戻っていました。

ホメオパシーのメソッドは卒業当時は最初はCHhomのやり方、いわゆるプラクティカルホメオパシーの手法でしたが、試行錯誤の結果たどり着いたのは「ストットラーメソッド」でした。「ストットラーメソッド」は非常に論理的でもっとも効果があがるホメオパシーの手法だと私は考えています。

しかし、「ストットラーメソッド」だけに固執していたわけではなく、2018年から2023年までは、インドの伝統あるホメオパシースクール『Allen Colleage of Homeopathy』で学び、Post graduateの学位をいただくことができました。2021年にはインドの現地校にも出向き、世界から集まったホメオパスと共に数日間学ぶことができました。

実はそのインドに行った時にあるインド人の事業家に出会いました。

その方はビジネスで成功しつつ社会貢献事業も多く手掛けていて、いつも人のために一生懸命されている方でした。私にはその人がとてもかっこよくみえて、「私もそういう人になりたい!」と強く思ったのでした。

なので、帰国してすぐに「自分のできる社会貢献をしないといけない」と考えました。

自分にできることといったら、ホメオパシーしかないので、「ごあいさつ」に書いたようなJJ研を立ち上げ、その後、日本を変えてくれるようなプロホメオパス集団を作るための「ホメオパシーアカデミージャパン」をスタートすることになりました。

今後は医療関係者の方のご協力もいただき、日本の必要としている方にホメオパシーをお届けできるような仕組みを作っていきたいと思っています。

趣味:音楽鑑賞(特にクラシック)、美味しいものを食べること、作ること、猫と遊ぶこと

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